信濃国ナンバーワンの名水【源智の井戸】

その歴史、訪れる人の多さなどから、「源智(げんち)の井戸」は松本の市井の井戸の代表といえるだろう。 亀の甲羅のようにも見える、どっしりとしたヒノキの井筒。 中を覗けば清水がたっぷりと湧いているのを見ることができる。

江戸時代のガイドブックで三ツ星の評価

源智の井戸は、松本に城下町が造られる以前、400年以上前から市井の人々に利用されていたという。
江戸時代には『善光寺道名所図会(ぜんこうじみちめいしょづえ)』なるガイドブックにも登場。
「源智の井、宮村町にあり、清泉湧出して当国第一の名水とす。松本街中の酒造りはことごとくこの水にてするなり。」
と、信濃国(長野県)ナンバーワンの名水と謳われている。ミシュランであれば三つ星★★★評価だ。

きったないのダメだから!

『善光寺道名所図会』の挿絵には湧出した水が井戸から豪快に溢れ出る様子が描かれているが、その絵の通り、清らかで質の良い水がとめどなく湧き上がっていたためだろう、

「源智井戸善水に候、なるほど不浄なきよう心付けもうすべく候なお、制札ださしむべきものなり」
―源智の井戸は清い水です。決して汚してはなりません。―

「この井戸へ不浄なる手桶、 曲げ物をもって水をくみ、また、井戸の内にて洗い物あくた入るべからず候右の旨相心得うべきものなり」
―ぬめぬめした桶で水を汲んではなりません。洗い物もしてはなりません。要するに水の中にきったない物を突っ込んではならないのです。―

このような達しが出されるなどして、源智の井戸は歴代の領主によって保護されてきた。『善光寺道名所図会』によれば、札を立ててまで領主が井戸の保全に気を配るのは異例なことらしい。
明治になると、源智の井戸の水は、天皇巡幸の際の御膳水として使用された。

時代は変わっても、人は清らかな水を求める

今では大きなペットボトルやポリタンクを携えて水を汲みに来る人が引きも切らず。
井戸の周辺では、この水を使って客の舌を喜ばす飲食店も点在する。
4世紀以上の時が流れ、人の暮らしは変わったが、人が水を求めるさまは変わらない。源智の井戸の水の清冽さもまた然り。
清らかな水湧くところに人は集まる。昔も今も。

『善光寺道名所図会』源智の井戸

『善光寺道名所図会』の挿絵。源智の井戸は昔から水量が豊富だったようだ。当時の井戸は、直径8尺高さ9寸(約2m40cm×約27cm)。

松本のご当地かるた「ゐ」の札は源智の井戸。絵札は『善光寺道名所図会』の挿絵をもとにしたしたもの。

井戸の名の由来は、松本藩主だった小笠原氏の家臣・河辺縫殿之助(ぬいのすけ)入道源智から。井戸は、この河辺氏が所有していたといわれる。

源智の井戸の隣にある寺でも水が湧いている。静かな境内。掬った水をゆっくりと味わえる。水汲みには適さない。

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